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2017年02月26日

渡部昇一さんのパスカルの話

昨年読んだ渡部昇一さんの「95歳へ!」か、その後に読んだ同著者の別の本だったかよく分からないが、渡部昇一さんがパスカルの話を引用していた内容があったことを想い出した。
それぞれの本の内容は、もうかなりの部分を忘れている。

そういえば私の友人のヒツジさんは、自ら自身のことを「活字中毒」というほどの読書家だが、最近小説を読んでいて、途中で本を閉じると主人公の名前を忘れてしまうと嘆いていたが、やはり年のせいなのかも知れない。

私はかなり前から、何かをしている途中で別のことが入ると、『さて、何をしてたんだっけ?』と思うことがよくあった。
しかし、例えば仕事中に歩いてきた元の場所に戻ると、何をしていたか思い出したりする。
同世代の人に訊いてみると、私だけではないようだが、少し辛いものがある。

さてパスカルは、「パスカルの原理」や『人間は考える葦である』という言葉で有名なフランスの思想家ですが、残念なことに私は、例の如く、いつ頃の人か、どんな人かはよく知らない。

そこで、Wikipediaで調べてみた。

Wikipedia「ブレーズ・パスカル」から引用。
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、自然哲学者(近代的物理学の先駆)、思想家、数学者、キリスト教神学者である。
早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。ただし、短命であり、三十代で逝去している。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。
「人間は考える葦である」などの多数の名文句やパスカルの賭けなどの多数の有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。その他、パスカルの三角形、パスカルの原理、パスカルの定理などの発見で知られる。ポール・ロワヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。
かつてフランスで発行されていた500フラン紙幣に肖像が使用されていた。
「以下略」



日本で言えば、江戸前期に当たる頃のようだ。
39歳で夭逝したらしい。また、キリスト教の神学者で実存主義者でもあるらしい。
「パンセ」は難しそうだったので、恥ずかしながら私は未だ読んだことがない。
渡部昇一さんが引用されていたのは、多分この中で出てくる「パスカルの賭け」の話だと思う。

「パスカルの賭け」はWikipediaに別項目で説明されているが、私にはこれも難しいし、余り読む気にもなれない。
そして、そこでは「神の実在」などについての話となっているが、渡部昇一さんの本では(私の記憶違いかもしれないが)、少しアレンジされて「あの世があるかどうか」についての話として書かれていたと私は記憶している。
つまり、私の理解では次のように単純化された話だ。

で、「あの世が、あるかないか」ということと「あの世があると信じていた人、信じていなかった人」が亡くなった場合にどうなるか、というそれぞれの場合について渡部昇一さんの話を基に、私風に勝手に書いてみる。


(1)あの世があると信じていた人が亡くなった場合
①あの世があった場合:〇
あの世があると思って、この世を生きてきた訳であり、もう少しああすれば良かった、こうすれば良かったという思いがあったにしても、思いのとおり「あった」のでこれは〇。

②あの世がなかった場合:△
残念ながらあの世はなかったが、あの世がなければ、魂や意識が死後も存在するとは考えられないので、「しまった」という考えも生じず、×とならず△。

(2)あの世はないと信じていた人が亡くなった場合
③あの世があった場合:×
あの世はないと思ってこの世を生きてきたのに、意に反して「あの世があった」のだから、これは×。
後悔先に立たずで、「しまった」ことになる。

④あの世がなかった場合:△
予想どおりあの世はなかったが、②と同様に、「良かった」という考えも生じないので、〇とならず△。

ということで、「あの世がある」と信じた方がマイナス要因がないということになる。

まぁ、損得勘定のように考えることではないと思うので、あの世があろうがなかろうが、「それがどうした」という気もするが、このように整理してみることも意味があると思う。。。


ここからは、渡部昇一さんの本に触発されたことを私自身の備忘録のつもりで書きます。
余りおもしろくないと思いますので、適当にスルーしてください。

私の性格の中には、ウジウジした、弱い、良くないところがあります。
その一つは、過去に人から言われたことに必要以上に囚われるところです。
自分の弱点を晒すようで恥ずかしいのですが、少し書いてみます。

過去に人から酷いことを言われた場合、---悪意がある場合もそうでない場合もありますが、そのことに囚われないようにしたいと思っています。
悪意がある場合には、結局相手の手中に落ちてしまうことになるし、そうでなくても精神衛生上良くない。

渡部昇一さんによると、すべてのことは潜在意識に記憶されるということなのですが、困ったことにその時に抱いた感情も記憶されるらしい。
つまり、言われたことだけでなく、自分がそのことに対して抱いた感情、怒りとか自分に対する情けない思いも残ってしまうらしい。

そうであるのなら、それを後から何度も思い出してしまっては、そのような良くない感情が増幅し、精神に悪い影響をもたらし、さらにストレスが高まって身体にも悪影響を及ぼすのではないかと思う。

そこで、本に書かれているように許すことを考えた。
私は毎日次のような祈りを行うことにした。
聖書に書かれている「汝の敵を愛せよ」については、今は考えない。


『私に酷いことを言ったあなた方を許します。良くしてくれたことには感謝します。私が酷いことを言ってしまっていたら許してください。もうあなた方と会うことは多分ありません。もう過去に私が言われたことも忘れます。今後二度と私に関わらないでください』
そして、
『酷いことを言われたと時に反論しなかった過去の自分、うまく対応できなかった過去の自分を許します』

こんな感じです。
「許す」と言っていますが、私の場合、その内容の核心は『もう忘れることにしたから、二度と私の意識の上に出てくるな』という自己中心的な考えです。

人徳至らぬ私なので、次の日になると、何かの拍子にまた想い出して『そういえば、あの時あいつはあんなことを言いやがって。くたばっちまえ』と思うこともありますが、暫く続けてみようと思います。


Wikipedia「ブレーズ・パスカル」から
パスカル画像 wikipedia.png


posted by いわし雲 at 22:21 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

2016年08月26日

渡部昇一さんとマーフィー

お久しぶりです。


徒然草で「家の作りやうは、夏をむねとすべし」とはよく言ったもので、私も今年まだ続いている猛暑に死にそうな思いで過ごしています。


子供の頃には30度を超えると暑いと思っていたが、最近では天気予報の最高気温の予想が30度だと涼しそうだと思うようになってしまいました。

昔は冗談のように、「きょうは暑いから、デパートか銀行にでも行って涼もうか」などと友達と言っていましたが、齢を重ねると人が多いところに行くのも嫌だし、銀行などに行って「何の御用ですか?」と訊かれても恥ずかしいので、今年の夏の休日には、時々近くにある図書館の分室に行くようにしていました。


市の中心部にある本館の方はインターネットで検索や予約もでき、蔵書も桁違いに多いが、残念ながらあまり涼しくない。

それに比べ分室の方は、座る席も10席余りで図書の数も少なく、「教養」「保健」「児童書」「新書」などの大まかな分類で最近の本は置いていないが、とにかく30分もいると寒くなるくらいなので、涼みに行くには最適なんです。


先日そういう訳で机の席に座って本を読んでいると、みっともない格好をして野球帽のようなものを被った厚かましそうな高齢おやじが荒々しく入ってきて、端をアルミのバインダーで吊るしてある新聞を、大きな音とともに机の上に投げ出して私の隣に座り、パシャ―、パシャーと素早く新聞をめくる風圧が来て閉口しましたが、私も人のことは言えない動機で来ているので、偉そうに言える義理ではない。腹も立たなかったし。


案の定、その人は10分ほどで帰って行った。

ここは市の施設なので、建物の中には「トレーニングルーム」「囲碁・将棋の部屋」「何とか教室」などいろいろ入っており、その途中で立ち寄ったのでしょう。



そんな感じの図書館の分室ですが、ふらりと10年くらい前の本に出逢えるのは思った以上に楽しかった。


先日友人から、五木寛之さんと石原慎太郎さんが同じ生年月日だと聞いたが、そこに五木寛之の『私訳 歎異抄』(だったと思う)があったので読んでみたところ、終段の編集者との対談のところで、確かに本人が「石原慎太郎さんと同じ1932年9月30日生まれ」と言っていた。

デビューした時期が違うためか、五木寛之さんの方が大分若いイメージだったが、同い年なんですね。



ここからが表題に関係してくるんですが、別の日に、渡部昇一さんの『95歳へ!』という本をたまたま手に取ったところ、「60歳前後になったら、95歳まで生きると考えて、どのような生き方をするか考えておく必要がある」というような話だったと思いますが、「マーフィー」の話が出てきて少し驚いた。


別に渡部昇一さんのファンではなく、昔『知的生活の方法』という本を読んだくらいで、どういう人物かはよく知らないのですが、最近のnetや週刊誌の新聞広告を見ると、保守の論客というような感じで紹介されていることが多いようです。


『知的生活の方法』は単行本でなく新書で出版されたのもうれしかったことを覚えています。

買った翌日に同じ書店に行ったら「品切れ」になっていたので、かなり売れたのだろうと思います。


話を戻して「マーフィー」ですが、私よりも知っている人も多いと思うので、恐縮ですがまた曖昧な記憶で書くので違っていたら指摘してください。


マーフィーはキリスト教の牧師で、「成功の法則」シリーズの本を多く出版しています。

私流に簡単に言うと、例えば将来自分が金持ちになっているイメージなどを毎日描いていると、潜在意識に働き掛けてそれが実現することになる、ということのようです。


私も学生の頃、そのシリーズの本を買って読んだことがありますが、当時、将来にあまり希望を持っていなかったせいか、そのような成功を収めることもなく現在に至っております。

ただ、何て言うか、仏教でもキリスト教でも煩悩とか過剰な欲望は戒められていた気がするので、少し抵抗があったことは覚えています。

牧師さんが現世利益を説くというのはどうかなぁ、という感じでした。


それで、『95歳へ!』を読んでみると、渡部昇一さんが英国留学中に本屋で見つけた非常に気に入った本がマーフィーの本だったということで、帰国後、縁があって翻訳して出版したと書いてある。

「訳者の『大島淳一』は、若い頃の私のペンネームだ」とも書かれており、かなり驚いた。

どう考えても、イメージが一致しない。


それで、「マーフィー100の成功法則」(大島淳一著)という本があったので、借りて読んでみた。

これは、マーフィーの翻訳本ではなく、今までのマーフィー本のエッセンスをまとめたものだそうだ。


ところで、面白いことに気がついた。

この中に書いてある「私の知っている日本人の青年はしきりにアメリカに行きたがっていました。・・・アメリカに行くことになりました。」の話は、ご自分のことだということが分かった。

なぜなら、『95歳へ!』で自分の体験としていて書かれているから。


なかなかその気にさせる本でもあり、私も潜在意識への働き掛けをしてみようかな、と密かに思ってみたりしています。



昔、マーフィーの何かの本を読んだ時に、聖書の百人隊長の話が出てきたのを思い出した。

私の記憶が正しければ、部下の病気を治すために百人隊長(部下が100人のローマ軍の隊長)がイエスにお願いした時の話です。

マーフィーの本の記述では、イエスは「もし、できますれば、部下の病気を癒してください」と言った百人隊長に対し、「もし、できればと言うのか。信じる者は山でも動かせる」と言って病気を癒したというように書いてあったと思うが、少し曖昧で申し訳ありません。


この「山を動かす」という話は、晴佐久神父の説教の動画でも見たことがあって、その時の神父の説明では、「1ミリでも動けばいい」という話で、私は「山が1ミリ動いたとして、どういう意味があるのか?」よく分からなかった覚えがあります。その時にも百人隊長が出たかどうか不明です。

これも勘違いの記憶かもしれず、申し訳ないです。


この辺りのことは、私の中で上手く整理できていないので、もし詳しい方がおられたら教えていただければありがたいです。こことここを参照してみたらいい、ということでも構いません。


ということで、いつもどおりダラダラとまとまりなく終わります。



[おまけのクイズ]

 次の文を和訳しなさい。

 To be to be ten made to be.


大昔からある問題で、ご存知の方も多いと思います。私も英語の授業でシェイクスピアを習った後、やられました。

答えは次回に載せますが、netで調べればいっぱい出てきます。



ラベル:読書 涼む
posted by いわし雲 at 01:51 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

逸翁

※再掲 操作の不手際で記事の順序が変わってしまい、申し訳ありませんでした。
前回、といってもかなりの日数が経過してしまいましたが、福沢諭吉の『福翁自伝』について少し書いたので、『逸翁』について思いが巡りました(少し表現がおかしい気もします)。
『逸翁自叙伝』というのがあるらしいのですが、私は多分読んでいないと思います。

『逸翁』のエピソードを新聞か雑誌の連載で時々読んだだけだと思うので、その程度で記事にするのは読んでくれる人がいれば申し訳ない気がするし、「それくらいのことは知っている」と言われそうで少し躊躇いがありますが、気にせずに例によって曖昧な記憶で少し書いてみます。

『逸翁』は雅号で本名は「小林一三」と言い、阪急グループの創業者です。
私の頭の中では、大阪梅田から神戸三宮まで鉄道を敷き、沿線の住宅開発を行い、ターミナル駅にデパートを造り、阪急ブレーブス、宝塚歌劇団などを作ったという感じです。国が行う国土開発のようです。

昭和4(1929)年の米国発の世界恐慌が日本にも及び、昭和恐慌が発生しました。
ちなみに、世界恐慌のきっかけを米国の株式の暴落とするのが一般的なようですが、FRBの失敗あるいは陰謀とするものなどもあります。
また、日本については、最悪とも言えるタイミングでの旧平価金解禁と緊縮財政の実施してしまい、不況を一層悪化させたと言われています。

また脱線してしまいましたが、このような不況の中で一般庶民は働いていても困窮しており、阪急百貨店の大食堂でご飯だけを注文する人が続出したらしい。
これには食堂側も困って、「ライスだけのお客様はお断り」との貼り紙をしたところ、これを見た小林一三は、直ぐに「ライスだけのお客様歓迎」に貼り替えたということです。

私が覚えているのは、この辺りまでですが、ウィキペディアの「ソーライス」にかなり詳しく書かれているので参照してください(超いい加減)。

ウィキペディアを見てみると、ご飯にソースをかけてルー無しのカレーライスを食べるということのようです。
私は塩か醤油をかけるものと思っていました。
さらに「後年、当時の御礼の意味も込めて追加代金を食器などの下にそっと置いていくという事態が後を絶たなかった」と書かれていますが、ホントなら何か嬉しい。ホントだと信じます。

平成7(1995)年の「阪神・淡路大震災」の際、火事場泥棒のような者やソーセージやフランクフルトを1本数千円で売った店、人がいたらしい。
一方、「代金は後でいいから」と商品を渡したコンビニもあったらしい。
そして後日、購入額を超えると思われる額を支払いに来た客が続出したようだ。

一部の人の行動を見て、「だから日本人は素晴らしいのだ」という話に持っていくつもりはありません。日本にいる外国人も含めて、60年経過して2世代か3世代くらい経っても、阪急百貨店の大食堂の時の気持ちがかなりの人に伝えられているようで嬉しいだけです。


勝手ながら、ウィキペディアへのリンクがうまくいっていない気がするので、そのときは次で検索してみてください。実はリンクを貼ったことがないんです。
「小林一三」、「ソーライス」
posted by いわし雲 at 23:37 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

伝記、偉人伝そして福沢諭吉

福沢諭吉が書いたと言われる『脱亜論』が、netを見ていると時々引用されているので、またまた昔のことを思い出した。

小学生の頃、教室に小さな本棚があって伝記が並べられていた。
ハードカバーの本で背表紙には大きな字で、「シュバイツァー」「野口英世」「北里柴三郎」などと書かれた偉人伝だった。

児童の数から考えても、また記憶にもないので、授業中に強制的に読まされたということはなかったと思いますが、本好きの子はよく読んでいたようだったし、私のように、そうでない子でも時々読んでいました。もちろん、1学年のうちに各自全部読みなさい、などと教師から言われた訳ではありません。

どの伝記を読んでみても、子どもの頃、やんちゃ坊主だったり、勉強ができなかったりということはあっても、その後、人並み外れた努力をして、一生懸命勉強を続けて、品行方正で、強い信念を持ち、アフリカに行って医療活動をしたり、細菌を発見して人命を救うための治療に繋げたり、歴史的な大発見をしたりといった感じの内容で、とても自分には真似ができそうにないことを行った人の話ばかりだった。
だから伝記になっているんだと思いますが。

その中に「福沢諭吉」もあり、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』という話や米国・欧州見聞の話、文明開化や教育に尽力した話などがあった、と思いますが、内容はきれいに忘れています。

近所の店に行くと、大きめのカレンダーに、

一番悲しいことは、嘘をつくことである
一番みじめなことは、人間として教養のないことである
一番寂しいことは、する仕事のないことである
・・・・
というような諭吉の格言が書かれていたことがあり、何か説教されているようで少し嫌だったのを覚えています。

その後かなりの年月を経て、書店で『福翁自伝』という本を見つけて、面白そうだったので購入した。岩波文庫だったと思う。帰宅して読んでみると、伝記などのイメージと全く異なる人間臭さのある福沢諭吉が登場し、面白かった。
手元に本がないので、また曖昧な記憶で書いてみます。間違い勘弁。小見出し適当。

(1)適塾での囲碁の観戦
   大阪の緒方洪庵の適塾で、諭吉は他の仲間とそれこそ「学問」をすすめていた訳ですが、その合間に仲間が囲碁の対局をすることがあり、諭吉が横で見ていると、「さっきの手が悪い」「ほら、やっぱりこうなった」「これは○○が優勢だ」とか、いつもやかましい。
その後、「福沢がどれほど強いのか、俺と対局しろ」と言われて、やむなく諭吉は応じるが完敗する。
諭吉は囲碁が強かった訳ではなく、ただ対局中の両者の表情を見て、いろいろと口を挟んでいただけだった。

(2)米国での記念写真
   これは少し有名な話らしい。咸臨丸で米国から帰国する洋上で、密かにサンフランシスコの写真館でその店の娘と撮っていた写真を皆に見せて悔しがらせた、という話。当時の写真は、10分間ほど、じっとしていなくてはならないものだったと思うが、諭吉も人が悪い。

(3)暗殺の心配
   江戸末期から明治初期は、動乱の時代というのか、国の針路を巡って激しい意見の対立があり、暗殺も多く、諭吉にも危険があった。
ある時、諭吉が一人で道を歩いていると、向こうから浪人が歩いてきた。諭吉も武士であったから帯刀しており、相手も同様であった。諭吉は斬り合いは何としてでも避けたかったが、相手が斬りつけてくればやむを得ないと考えていたようだ。

道の端を歩いて弱いと思われてはいけないと思い、堂々と道の真ん中近くを歩くようにしたところ、何と相手も道の中央に寄って来た。
すれ違う時、互いの刀の柄(つか)が当たり、諭吉はとっさに走って逃げた。数10mくらいだと思うが、振り向いてみると相手も走って逃げていた。
向こうも同じことを考えていたのかと、諭吉はおかしくなって笑ったという話。

感想等については、おこがましいので止めておきます。
posted by いわし雲 at 14:47 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

少し文学的

今では著作権の関係であまり無いのかと思いますが、以前には、高校とか大学の国語の入試問題で、文学作品の一部を抜粋して「作者がここで述べたい趣旨を○○字以内で記述しなさい」などという問題が出ることがありました。

その時は別に受験生ではなかったんですが、これにはちょっと考えさせられました。
そんなことを短い言葉で簡単に表現できるのか、という感じがしたからです。
また今では、一般の文学作品についても、そもそもそれは言語化できるものなのか、という気もします。

新聞に試験問題が掲載された翌日、予備校の講師や大学教授が模範解答のようなものを示して解説するTV番組があったので、ちらっと観ていたんですが、ある大学教授がこのような問題を解説した後、「でも作者は本当は別のことを考えていたのかもしれませんね」とさらりと言ったのには驚きました。

長い文章を引用した問題なので、他にもその内容に関連した設問がいくつかあって、恐らくその辺りから出題者の意図を汲み取って、求められていると思われる解答例を示したが、「文学はそんなものではないよ」と言いたかったのではないかと思います。

 (※ここまでは、2015.12.15に投稿した一部を修正して再掲載しました。)

狐狸庵先生こと遠藤周作が、母校の灘高に行って生徒の前で講演したビデオを観たことがあります。
講演の後で生徒から質問を受けたのですが、最初に2~3人の生徒が一緒に立って「芥川賞の傾向と対策について」と質問したところ、遠藤周作は見る見る怒り出し、「何?、もう一度言ってみろ」「東大とは違うんだぞ!」「文学を舐めるなよ」と言って、「もう質問は受けない」と降壇してしまいました。

随分若い頃『走れメロス』を読む機会があり、最後の「勇者は赤面した」は気に入っていましたが、他の箇所は何とも思わなかったです。当時は、ハッピーエンドのような小説や読み物があまり好きではなかったこともあります。

その頃は、小説はあまり読んでいなかったのですが、遠藤周作、北杜夫、安岡章太郎などのエッセー集が文庫本で出版されるようになり、作家同士の交流の面白い話があったりしたので、そちらを読むようになりました。
その中で太宰治やトーマス・マンなどの作品への言及があったので、それも読むようになった次第です。

『走れメロス』以降の太宰治の作品などを読むと、「重いなぁ~」という感じがして、「文学というものは普通の人が隠したり、意識していない『人間の業』というのか『醜いところ』を容赦なく抉り出しているようで厳しいなぁ」と思っていました。


また機会があれば、昔読んだ本を読み直してみたいと思っています。
posted by いわし雲 at 21:47 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

軽い話

今日は軽い話を書いてみます。いつものように記憶違いがあるかもしれません。、

1.ショックレー
 ショックレーは米国の物理学者で、トランジスタを発明したということでノーベル物理学賞を受賞した人です。
この業界には、「理論屋」と「実験屋」と言われる人々がいるようですが、ショックレーは理論屋でありながら、実験屋を率いてトランジスタの発明に繋げたらしいです。

後に、「IQが高く優秀な人間の遺伝子を集めて広め、人類の将来に役立てるべきだ」という主張をするようになり、自ら精子を精子バンクに提供しましたが、差別的発言のために、世間から非難を受けることになりました。
このとき1人の科学者が言いました。
「やはり昔ながらの方法が良いのではないか」。

2.金曜日の結婚
 英国のバーナードショーが言ったのだと思いますが、こんな話を思い出しました。
結婚を控えた青年が相談に来て、「金曜日に結婚すると不幸になる、というのは本当でしょうか?」と真顔で尋ねた。
バーナードショーは即座に答えた。
「もちろんですとも。どうして金曜日だけが例外であり得ましょうか」。

3.世界ジョーク集 アラブ編(だったと思う)
 ある男性が顔に傷を負って帰宅した。
家族が驚いて「何があったのか?」と訊くと、男性は語った。
「実は通りを歩いていると、向こうからひ弱そうな男が歩いて来たんだ」。
「ところが、それが弱くなかったんだよ」。
posted by いわし雲 at 17:20 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

2015年12月15日

12人の怒れる男(陪審員) の話など

「12人の怒れる男」を今は昔、TVの再放送で観たことがあります。別に観ようと思って観た訳ではなく、たまたま途中から観始めたので、最初の方は分からず、いつも以上に曖昧な記憶を基に記事を書いてしまうことになります。


モノクロの映画で建物の中での場面しかなく、「重苦しい映画だなぁ」と思って本気で観てはいませんでしたが、途中から段々と引き込まれていったのを覚えています。


念のためnetで検索してみたところ、当然かもしれませんが、かなりの部分が私の記憶から抜けているようで、またあちこちで記憶と異なっている部分があります。

しかし、あらすじを説明したり映画の評論をすることが目的ではないので、その記憶を基に書いてみることにします。


前提となる状況が分からないと、映画を観ていない方には何のことか分からないと思うので、簡単に箇条書きにしてみます。違っているところがあったら申し訳ありません。


・スラム街に住む黒人の少年が、ナイフで父親を刺殺したとして逮捕され、裁判にかけられた。

・裁判所での論告求刑で検察側・弁護人側が供述を行ったが、提出された証拠、証人の目撃証言などは、少年に極めて不利なものであった。

・論告求刑の場に、陪審員も出席して傍聴している。

・その後、陪審員の審理が行われるが、そこで「有罪」となると少年の「死刑」が殆ど確定する(現在の米法での扱いは知りません)。

・陪審員は一般人の中から無作為に12人が選ばれ、審理を行い評決する。

・陪審員は匿名で、お互いの名前などは明かさないまま審理が行われる。

・審理は外部と隔離された部屋で行われる。

・評決は、有罪か無罪かのみを決定し、「懲役○○年」などの量刑についての審理や評決は行わない。

・評決には、陪審員全員の意見の一致が必要である。


思いつくのは、こんなところです。

ですます調を離れて、私なりに内容の一部を書いてみます。

・・・・・

皆テーブルに着いてずっと審理を行うのかと思っていたが、殆どの場面で陪審員は立って歩き回ったりして、「早く終わらせてナイターを見に行くんだ」などと好き勝手なことを言っている人ばかりだった。

なお、審理の記録を取るために一人の書記のような人がいたと思うが、当然陪審員と話をすることはなかった。


上記のように証拠や目撃証言があったため、殆どの陪審員は審理がすぐに終わり、全員一致で「有罪」の評決となると思っていた。

しかし、最初の投票で1票だけ「無罪」の票があって全員一致に至らなかった。


場面は騒然となり、「誰なんだ!」との声が出て、1人の陪審員が「私だ」と名乗り出た。

名乗り出たといっても、もちろん名前を語った訳ではない。


その陪審員は「私は無実を確信して『無罪』の票を入れた訳ではない。しかし、少年の一生を決めることを、短時間で充分に吟味もしないで決定することには反対だ」と語った。


その後、結果的に証拠や目撃証言を一つひとつ検証していく流れとなった。証拠は状況証拠ばかりで、指紋や今でいうDNA鑑定のような物的証拠はなかった。


陪審員の中にナイフに詳しい人がいて、「この種のナイフで人を刺したら、この少年の事件の場合、ナイフはこのような向きにはならない」という話などが出て、途中の投票で「無罪」が少しずつ増えていった。

上の話と同様、無実と確信したいう訳ではなくて、有罪と決めるには不十分だということのようだ。

なお、陪審員の中には、感情が先に出て冷静に考えることができない人、論理的な思考を殆ど無視する人もいた。


女性の目撃証言で、「ベッドで横になって、たまたま窓の外を見ていたら、少年が走って逃げるのが見えた」

というのがあった。

映画の終わり頃の場面で、1人の陪審員が眼鏡を掛けている陪審員に向かって突然「あなたはいつも眼鏡を掛けていますか?」と訊き、「はい」と答えると、「寝るときはどうですか?」とさらに訊いた。

他の陪審員が「こんな時に何を関係ないことを訊いているんだ」と怒ったが、「これは大事なことなんです」と遮った。先の陪審員は「寝る時には眼鏡は外します」と答えた。その陪審員が眼鏡を外すと鼻に眼鏡による窪みができていた。


「目撃証言をした女性の鼻にも眼鏡の窪みがあったのを私は見た」と質問した陪審員が言うと、別の陪審員が「そうか、俺も見たぞ」と声を上げた。女性が普段眼鏡を掛けており、視力が弱いのに、眼鏡を外して横になっているベッドで犯行現場を目撃したと証言したのは不合理ではないか、という議論となった。

その結果、他の陪審員の1人は「私は無罪を確信した」とまで言った。

・・・

その後の投票で、有罪は1人となった。


最後の1人は、「俺はあいつらを許せないんだ」と泣き喚きながら、最後に「無罪だよぅ~」と叫んだ。

これで全員一致で「無罪」という評決となった。


審理が終わって、各陪審員は一般市民として家路に就く訳だが、建物の出口で、最初に「無罪」の票を入れた元陪審員の横に別の元陪審員が立ち、「あなたのお名前は?」と尋ねたところ「一人のアメリカ人です」と答えた。それぞれ右と左に別れて歩き出し、映画が終わる。


私の中では、こんな感じのイメージです。描写が下手ですいません。


この映画が何を訴えたかったのか、という話は当然あって、陪審員制の問題点、冤罪を生む恐れのある裁判のあり方、この評決によって証拠や証言にはそれぞれ不合理な点があることから少年は無罪となったが、「無実」であるとは断定できないことについての対応の方法、匿名であるが故に無責任な言動を取る陪審員がいること、世の中にはいろいろな人がおり、主に論理的な思考を基に行動している人、偏見や強い感情が言動に大きく影響を及ぼしている人、他人の意見に影響を受けやすい人、心理的な問題を抱えていて正しい判断ができない人などがいて、お互いが影響を及ぼし合ってそれぞれ社会生活を送っているという現実があるということ、などがあると思います(余り考えずに書いています)。


一番の関心は、自分がこのような状況の中で、最初に無罪を投票した陪審員のように勇気を持って堂々と論理的な発言や行動ができるかということだと思いますが、例えば私にそんな気概や能力があるかというと、残念ながら現状ではとても無理だと思います。


初めの方でも述べましたが、私の記憶している映画の内容と実際の内容はかなり違っていると思います。

言い訳をするつもりはありませんが、何十年も前の映画を正確に覚えている人は殆どいないでしょうし、仮に最近の映画だったり、事実だけを報道した(?)ニュースだったとしても、それについての記憶や受け取り方については、その人の個性、信念・信条あるいは思想などによって異なってくると思います。

それが悪いことだと言うつもりはなく、当然のことだと思いますが、例えば評論家と称する人達の中で、事実を余り検証せずに安易に「こういうことだ」と断定し、自分の見解とごちゃごちゃにして発言する人については、私は信用していません。





※少し修正したので、すいませんが再upします。
ラベル:陪審員
posted by いわし雲 at 01:48 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

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