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2017年09月11日

禁煙についての軽い話

東京都が屋内禁煙条例を作るらしい。
分煙には賛成するが、条例案を読んだ訳でもないし、このことについて議論をするつもりもない。
ただ、東京では屋外でも煙草を吸えるところが少ないというイメージなので、喫煙者には煙草を吸う場所がますます少なくなって気の毒だなぁ、と思ってしまう。

1つ懸念しているのは、この手の議論になると、「煙草の煙と臭い、そして煙草を吸う人は悪であり、排除しなければならない」という意図を持った主張が出てくることだ。

煙草の問題から離れて考えてみると、こういう考え方は、「自分たちの主張は正しいので、異を唱える者は悪であり、排除すべき存在だ」と言うことと似ている。

迷惑煙草をどうするかという話が、いつの間にか「善か悪か」という二項対立的な話になってしまい、「悪」とされれば徹底的な排除の対象となってしまう。

歴史的にも、そして現在の政治、外交、メディアやSNSの世界でも、そのような主張や場面を私たちは度々見てきた。
一時期の豊洲のベンゼンや、放射能・放射線などもそのような扱いをされていた。
もう、「善か悪か」「0か1か」だけの視点で物事を判断するのは止めませんか、という感じ。


実は、今回の記事を書こうとした動機は、上で述べたような難しいことを言いたい訳ではなく、「禁煙」という言葉から例によって曖昧な記憶を思い出したからです。
中高年の人なら一度は目にしたことがあり、煙草を吸ったことがある人には、ご理解いただけると思います。

(1)禁煙の貼り紙
何かに載っていた小話か4コマ漫画だったと思う。

・ある中年の親父が「禁煙」を決意し、部屋の壁に貼り紙をすることにした。
・ホームセンターなどで売っているプラスチックのプレートでは味気ないので、半紙に毛筆で「禁煙」と認めることにした。
・ところが、なかなか気に入った字が書けない。
・何枚か書いているうちに、やっと満足できる字が書けた。
・そこで思わず煙草を一服してしまった。


(2)マーク・トゥエインの言葉

「禁煙?禁煙なんて簡単だ。俺は何回も禁煙している」

※ マーク・トゥエインは『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』などで有名なアメリカの小説家。「何回」が「何百回」「何千回」となっているものもある。
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posted by いわし雲 at 20:47 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

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