2016年11月13日

鉄棒の話

ぶっきらぼうに鉄棒と書いてしまいましたが、何のことかと言うと、器械体操の鉄棒のことです。
小学生の頃、私が一番好きだったのはサッカー、野球などの球技でしたが、実は鉄棒も得意だった。

鉄棒が好きな子どもも珍しいと思うが、後に体操部に入った友だちと一緒に、当時住んでいた近くの公園で次々と新しい技を開発していた。
と言っても、新しい技と思っていたことは、後から見ると大抵「背面逆上がり」などと正式な名前がついていた。

年寄りが昔のことを自慢するようで少し嫌なんですが、後半に関係してくるので、少しだけ我慢してください。

「飛行機飛び」「巴」「こうもり」など、当時の技をを思い出します。
「こうもり」は膝の裏に鉄棒を挟み、両手を離して身体を振って手を付かずに着地するという技なんですが、これは直ぐにできるようになった。

ところが、その友だちが『鉄棒の上に座って両手を離して後ろに倒れて、膝の裏で鉄棒を挟んで回転し、手を付かずに着地しよう』と、とんでもないことを言い出した。

これは正直怖かったが、暫くして二人とも結局できるようになった。
しかし最初、私は一人で児童公園の鉄棒で、『えいや!』とやってみたが、足が外れて頭から落下して痛い思いをしてしまった。
やはり、怪我をしないためにも年長の補助者などと一緒に練習した方がいいですね。

それで、その現場を見ていた年下の子どもがいたようで、何日かして再びその児童公園に行ったら、離れたところで指差して『あの人、この間鉄棒から落ちた人だ』などと言っている。
少しむかついた。
・・・・・

その後、暫く鉄棒からは離れていたが、中学校の体育で「蹴上がり」の練習をすることになった。
「蹴上がり」は見ていて格好がいいが、難易度が高く、自分ではまだ無理だと思っていた。

案の定、クラスの男子生徒で「蹴上がり」ができる人は、1人いるかいないかであった。
が、何度目かの授業で、できる人が増えてきた。
私も、「よじ登る」という感じで、格好がいい訳ではないが、60〜70%くらいの割合でできるようになった。

できるようになった理由は、「手首を返す」という自分なりのコツが分かったことだ。

思えば「背面逆上がり」の時、最初に鉄棒を掴んだ状態のままだと、力を入れてもいつまで経っても上に上がれないことに気付いて、「手首を返す」ことを覚えてできるようになったことがある。
多分、最初の掴み方だと、力を入れても鉄棒の上に上がる方向にうまく力が働かないのだと思う。
それで、「蹴上がり」でもやってみたところ、動きがあるので難しいが、何とかできるようになった。

ちょっとしたことだが、「できる」と「できない」の違いは、子ども心に大きな違いだ。
コツについては、これくらいのことは誰か教えてくれれば良かったのにと思うが、できる人はそんなことを考えず、やっているうちに自然に身体が覚えてできるようになったのかな、と思う。
・・・・・

今の地に来て、近くの児童公園に行った。
当時から40年くらい経っている。。。

今は鉄棒など全くできない。
以前は、8回くらいは普通にぶら下がり懸垂ができていたが、今は0回。
中年になって太ったからだと思う人がいるかも知れないが、事実は逆で、筋肉が溶ける症例が発生したためで、今までの「やや肥満」から10数kg痩せて「痩せ」になってしまった。

それで、筋トレと五十肩の再来を克服するため、今の近所の児童公園で「斜め懸垂」や「ぶら下がり」をやっていた。
少し高めの鉄棒に私はいたが、繋がっている低めの鉄棒に小学校の中〜高学年の男の子と若い母親がやって来た。

いきなり子どもが逆上がりを行い、『元気があって、いいな』と思ったが、母親が急に『逆上がりは順手で行わなければいけないんでしょう?』と真顔で私に話し掛けてきた。

突然のことなので、『正式には、そうだと思います』と曖昧に答えてしまった。
すると、その子は何も言わず、順手で逆上がりをしたが、最後で鉄棒の上に上がることができず、元に戻ってしまった。

咄嗟に、昔の経験から『鉄棒の上に上がる時に手首を返さないと上がれないよ』と身振りを交えて言ったところ、その子は無言で行動に移し、逆上がりができた。

思わず『凄い!』と言ってしまった。
母親は『ありがとうございました』とお辞儀をして、二人とも帰っていった。

「えっ?」と思った。
私がその子なら、筋力が回復する5分程して成功率70%くらいになって、「できる」という自信を持ってから帰るのだが、鉄棒にそれほど執着はなく、小学校の授業で指摘されたことを解決したということなんでしょうか。

ま、私の言ったことで、もやもやが少しでも解消したのなら、それはそれで良かったと思う。
以上、自己称賛の話でした。


この母親が何故話し掛けてきたのかと少し考えたところ、恐らく同じ町内のおっさんだろうと安心していたからかな、と思った。

たまに市の中心部に行くと、時間に余裕がある時には、私はぼーっしてとチンタラ歩いていることが多い。
それで、話し掛けやすいのか、道を尋ねられることが他の人より多分多い。

井上陽水ではないが、方向音痴の私に道を尋ねるとは『あなたも運の悪い人だ』と気の毒に思う。
途中に何があってどう進んだらいいか、とか訊かれると順番は覚えていないのでお手上げだが、○○町の〇〇ビルの〇〇はどこですか?と訊かれると、そのシーンが思い付くことがあって、半分くらいは役に立ったと思う。

何の話かよく分からなくなってきましたが、人はそれぞれ都合があって行動しているのだろうと改めて思ったということです。


[おまけのクイズ]
今日は一見マジメな文学関係の問題です。
でも、私は読んだことは覚えていても、内容や読後自分がどう思ったかということは、全く覚えていない。
最近は小説を読む元気がありませんが、以前、どんな小説を読んでいたかな、ということで思い付いた、また曖昧な記憶に頼った問題です。
間違いがあったら申し訳ありません。

@「夜になってミッシェルは話し始めました」で始まる小説名。
A「親があっても子は育つ」と言った戦後の日本の作家。
2016年10月18日

性善説という言葉

ずっと以前から使われている言葉ですが、ニュース記事などで最近また「性善説」という表現が多くなったと思います。
ここで言う性善説とは、様々な制度や施策を実施するに当たって、嘘をついて申請する者はいない、というような話です。

それで、このような前提に立って制度を作って運用しているため、本来、対象とならない人が虚偽の申請を行うなどして不正に利益を得る場合があるということで、「性善説が前提となっている制度とその運用を見直して、審査や罰則を厳しくしろ」という結論に至ることが多いようです。

それはそうでしょうし、そのことを「性善説」と表現するのは分かりやすいのですが、私にはいささか抵抗があります。
というのは、ダジャレのようですが、孟子に申し訳ないという単純な気持ちからです。

紀元前3〜4世紀頃、孟子は「人の本性は善である」として「性善説」を唱え、後に荀子が「人の本性は悪である」と「性悪説」を唱えましたが、いずれも後天的な教育・徳育が必要だということは共通していると思います。

孟子は性善説を唱えましたが、「人は嘘を付かない」とは一言も言っていないので、ニュース記事などで言う「性善説」は本来の意味から外れていると思われ、私には抵抗があるのです。


初めて正式に孟子の性善説に向き合ったのは、多分、高校の漢文の授業だったと思います。
また脱線しますが、漢文の先生は生徒から見ると、長い髭を生やした小柄なお年寄りの先生で、時代や世間からはかなりズレている感じの人でした。

最初の授業で、男女がくっつけていた机を離すように言い、ただでさえ狭い教室なのに面倒なことでした。
次の授業の時に、元気のいい生徒がこのことに異議を唱えましたが、先生は怒るのでもなく、自分の考えや論理的な説明をするのでもなく、暖簾に腕押しという感じでその生徒も諦めたようでした。
「男女七歳にして席を同じゅうせず」ということなんでしょうか。

こんな感じの授業で熱心に受講している生徒は殆どいませんでしたが、別のクラスの同級生の友人が授業中に指名されて質問に答えられず、先生から
『そんなことでは、大学の入試に受からんぞ』と言われ、
『僕は北京大学には行きません』と言い返したらしい。
変わったキャラの友人だったが、そんなことを言う奴だとは思わなかった。

この先生が授業中に「性善説」「性悪説」について説明したことがあった。
この時には、珍しく生徒が真剣な面持ちで聞いていた。
『この紙に譬えると、性善説と性悪説は紙を表面から見たのと裏面から見た違いだ』というようなこと言った。
で、そこでお終い。それ以上の説明はなかった。肩透かしのようだった。

少し捻くれていた私は、
『紙が人の本性と言うなら、紙の両端を180°捩じってセロテープでくっつけたらメビウスの帯のようになって表も裏もなくなるが、どうなるのか?』
と思ったが、それ以上は考えられなかった。

印象に残っているのは、ーーー今netで検索してみると内容が記憶と少し異なっていますが、
『井戸を覗き込んでいる幼子(おさなご)がいたら、盗人といえども走り寄って幼子が井戸に落ちないように助けない者がいるだろうか』
という孟子の言葉だった。

不条理なことが多い世の中ですが、私は「人の本性は善である」と信じたい。

タグ:性善説 孟子
2016年09月08日

方向音痴と天気予報の話

毎回、方向性のない話で申し訳ないです。

それで実生活上でも、私は方向音痴で困っています。
何度か訪れたことのあるビル内でも、時々自分のいる場所が分からなくなるし、道を間違えることも多い。

また、給油するガソリンスタンドは、自分がよく通るそれぞれの道沿いの2店舗に大体決めていますが、たまたま車で近くまで行った時に立ち寄ろうとしたら、その道に直角にぶつかる交差点で、そこから右だったか左だったか分からず、50%に近い確率で大回りをしてしまう。
そして困ったことに、その次に同じ場面に遭遇した時に、以前にここで右に行くか左に行くか迷ったことは覚えているが、結局どっちが正解だったか忘れて同じ過ちを繰り返すという、学習効果が発揮されず情けない思いをすることが多い。

真偽は定かではないが、渡り鳥が毎年迷わずにやって来れるのは、鳥は地磁気を感じる能力が優れていて方向を間違わないためだという説を、昔、聞いたことがありますが、それが人間にも当てはまるとすると、私にはその能力が低いのかも知れない。

方向音痴のもう一つの原因は、空間把握能力が劣っているためだと思います。
サッカーやプロ野球の一流選手が球際に強く、ぎりぎりでボールに追いついてすぐ次の正確なプレーに移れるのは、この瞬時の空間把握能力が人並み勝れていることもあるのではないかと、実は密かに思っています。

ご承知のように私の記憶力も怪しくなって困っているが、不思議なことに大したことではないのに、ワンシーンだけを覚えていることが多い。ただ、その前後の経緯や、他の記憶とどちらが時間的に早かったかというのは、分からない。

例えば、夕方車を運転していたところ、急に降り出した雨に濡れながら自転車で帰宅する高校生と何人も対向したことがありました。いつ頃のことだったかは覚えていないが、あの道のあの辺りを走っている時だったことは何故か覚えています。
その時、隣に乗っていた同僚が、『朝、天気予報を見て来なかったのかな?』と言い、自分が何気に『今時の天気予報は都市部をピンポイントで言うことが多いからかなぁ』と言ったことも覚えています。


その天気予報ですが、ここ数年はTVを観る習慣がなくなったので無責任な言い方ですが、TVやnet、新聞で天気予報を見ても最近はよく分からない。
「実況天気図は一日7回(3、6、9、12、15、18、21時)の観測データをもとに解析を行い、観測時刻の約2時間10分後に日本周辺域の実況天気図を発表します。」(気象庁HP)とされているが、私の見に行くタイミングが悪いのか、日本気象協会のサイトに行っても実況天気図は4〜5時間前のものになっていることが多い。
そして予想天気図がないことが多いのが辛い。
夏季ということもあるのかも知れませんが、最近前線の表示がないことが多いような気がして、ますます分からない。

何をグダグダ言っているのかと思われるでしょうが、要約すると天気予報への不満は大体次のとおりです。
・実況天気図が古い。
・一番知りたい明日朝の予想天気図を、前日の夕方〜夜に見ることが難しい。
・天気図の前線の表示が減ったのではないかと思うほど少なくて分かりにくい。
・ピンポイントで各都市部の天気を表示するが、説明がないので天気が西からどのように移り変わって行っているのか分からない。

という感じです。

このように書くと、いかにも私が天気図に詳しいかと錯覚される方がいるかも知れませんが、全然そんなことはありません。
ただ、子どもの頃から、19時前の天気予報は「ヤン坊マー坊」ではなく、NHKの日本気象協会の方の天気予報をよく観ていました。
そこでは実況天気図を説明してから予想天気図に進み、西から順に天気予報を行っていて分かりやすかった。

それで、『低気圧から伸びる温暖前線が明日には九州に近づき、九州では昼前から雨が降る所が出てくるでしょう』などと言われると、『あさっては雨かな?」と思うようになり、また昼間急に雨が降ってきても、『そう言えば昨日の天気予報で、寒冷前線が通過して俄雨が降るかも、と言っていたな』と思い出し、『この雨も1時間もすれば上がって少し冷たい空気が入って来るだろうな』と、天気図の勉強をしなくても少し分かるようになった程度です。

とりあえず、私のようなアナログ人間には「ピンポイントの天気予報」よりも、「西から順にこのように天気が変わるでしょう」
と言ってもらった方がありがたい。
しかし、台風や近年の局地的な豪雨の恐れがある時には、気象衛星や雨雲レーダーにも頼らざるを得ないことは理解しています。

ところで、予想天気図の等圧線を今で言う気象予報士の方がその場で描くことがあって、びっくりしましたことがありましたが、別の番組でその人が『実は気象大学校の学生からも訊かれたことがあるんですが、TVでは見えないように等圧線を予め鉛筆で描いておき、その上をマジックで描いているだけですよ』とバラされて、納得したことがあります。

で、結局自分でも何が言いたいのか分からなくなりましたが、勝手に終わります。


[おまけのクイズの回答]
前回の 「To be to be ten made to be.」の和訳は、ローマ字で読んで「飛べ飛べ天まで飛べ」でした。
高校の英語の授業で、ハムレットの「To be or not to be,that is the question.」を読んだ後で教師がこれを黒板に書き、私のような?純真な生徒はみんな騙されました。

[おまけのクイズ]
人からの又聞きで恐縮ですが、なぞなぞのようなものです。
「野球場で組み、車の中で上がると困るものは何か?」と尋ねられましたが、状況のイメージが浮かばず降参しました。
ラグビーならスクラムを組むのもありかなと思いましたが、ベンチで選手が足を組むことくらいしか思いつきませんでした。



春はあけぼの ボタンの三つ四つ、二つ三つなど押すも いとをかし

◌◐◒◓◑◔◕
ブログランキング・にほんブログ村へ