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2018年06月13日

Let It Be への思い

私は、ビートルズの曲が好きです。
年代的には、かなり上の世代が熱狂していたらしいのですが、私が「The Beatles」に出逢ったのは、昭45(1970)年にビートルズが解散して、相当の年月が経ってからです。
ビートルズが昭和41(1966)年に来日して、武道館でコンサートを行い、その前座を「ドリフターズ」などが務めたことも、当然知りませんでした。
「A Hard Day's Night」を聴いた時には、「like a dog」「like a log」と英語の歌でも韻を踏むことがあるんだな、と思ったり、賑やかな曲とは裏腹に、何かどうしようもなく、やるせないようなものがあるように感じました。

ところで、私が文中に昭和と西暦を入れるのは、自分も読む方にも分かりやすいと思うからです。
例えば、今年は昭和で言うと、昭和90年になるので、生まれ年などを聞くと、すぐに年齢や何年前かが分かります。

知っている方も多いでしょうが、昭和に25を足すと西暦になります。さらに、これは多分「ザ・ボイス」の飯田アナウンサーが言っていたと思うんですが、平成に88を足すと西暦になります(なるほど。しかし、平成から12を引いたら西暦になると言った方が分かりやすいと思います)。

脱線ついでに、西暦に660を足すと、皇紀での年になります。今年は皇紀2675年です。
神武天皇が即位した年から数えるようです。皇紀2600年は昭和15(1940)年で、この年にゼロ戦が開発か配備かがされたので、その名が付いたらしいですね。

話を戻します。
Beatlesの好きな曲にはいろいろありますが、「Let It Be」は、とりわけ気に入っていました。知人とカラオケに行って、「また、Let It Be か」と言われても気にせずに歌っていました。

私はスマホなどは必要性を感じないため持っていないので、今では自分の部屋で、もっぱらpcで動画の検索をして聴いています。
動画にBeatlesのアルバムの写真を貼り付けて、Coverとも書かずに別人が歌っているのは止めて欲しいですね。
私は大体バックグラウンドとして聴いているので、画像はなくてもいいくらいなんですが、「あれ、前奏の演奏や声が違う」と思って、別の動画に切り替えることが時々あります。

ちなみに、Beatlesのアルバムで一番売れたのは、日本では「Let It Be」ですが、世界的には「Abbey Road」らしいです。

Let It Be の終わりの方の、

And when the night is cloudy
There is still a light that shines on me
Shine on until tomorrow, let it be
I wake up to the sound of music,
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be


の辺りが特に気に入っています。
「I wake up to the sound of music」の「to」は、文法的には「~に合わせて」という意味で使われている前置詞だと思うのですが、違うでしょうか?
「Mother Mary」は普通に「聖母マリア」と思っていましたが、ポールの母親が「Mary」という名前で、夢の中に出てきて曲を作るヒントになったとポール自身が語ったという話があるようですが、本当でしょうか?

まあ、曲を分析するのは余り好きでないし、無粋だと思うので止めようと思います。
何かと拘りがちな、こういう性格が人に嫌われるのだと思います。
多分、要らぬことは思っても喋らないというのが、良い人間関係を保つ秘訣なんでしょうね。
前の記事で、「(あの時)言っておけばよかった」と後悔しない方に軸足を移す、と言いましたが、やはり何事にもバランスが必要だと痛感しています。

ただ、もう1つだけ言わせてもらうと、それがこの記事をupした理由なのですが、それは、記事のタイトルそのものです。
「let it be」は大抵、「なすがままに」とか「あるがままに」と訳されていますが、今の私は「自分を変えたい」と思っているので、ここに非常な葛藤を覚えるのです。だから、この曲を聴こうと思う時、抵抗を感じるようになってしまうのです(結局は複雑な気持ちで聴いていますが)。

前に自分のことを、キリスト教に関心を持つ者と言ったことがありますが、私は毎日のように、『祈りの園』のHPへ行って、ペトロ神父の日替わりの話を読んでいます。
その中で、ある時、誰かの祈りの引用をしていました。詳細は忘れましたが、大体次のような内容だったと思います。
 
主よ、私に変えることができるものを、変える勇気を与えてください
   変えることができないものを、受け入れる寛容さを与えてください
   そして、変えることができるものと、変えることができないものを 見分ける分別を与えてください

少し記憶違いがあると思いますが、私には響く言葉でした。

まあ、「let it be」にも「変えることができないものを、受け入れる寛容さを持ちなさい」という意味があるのでしょうが、どうも私はひねくれていて、「今のままでいいんだ」とか「気にせず放っときなさい」と言う意味に取ってしまいがちです。

私は「自分を変えたい」、「変えることができるものは変えたい」と、もがいているので、このフレーズに少し複雑な気持ちを抱いてしまっているのが今の状況です。

「変えることができないものは、抵抗せず受け入れなさい」というのは、あちこちの人生訓などで書かれていますが、私もそのとおりだと思っています。


・・・・・
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ラベル:ビートルズ
posted by いわし雲 at 18:21 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

2017年09月11日

禁煙についての軽い話

東京都が屋内禁煙条例を作るらしい。
分煙には賛成するが、条例案を読んだ訳でもないし、このことについて議論をするつもりもない。
ただ、東京では屋外でも煙草を吸えるところが少ないというイメージなので、喫煙者には煙草を吸う場所がますます少なくなって気の毒だなぁ、と思ってしまう。

1つ懸念しているのは、この手の議論になると、「煙草の煙と臭い、そして煙草を吸う人は悪であり、排除しなければならない」という意図を持った主張が出てくることだ。

煙草の問題から離れて考えてみると、こういう考え方は、「自分たちの主張は正しいので、異を唱える者は悪であり、排除すべき存在だ」と言うことと似ている。

迷惑煙草をどうするかという話が、いつの間にか「善か悪か」という二項対立的な話になってしまい、「悪」とされれば徹底的な排除の対象となってしまう。

歴史的にも、そして現在の政治、外交、メディアやSNSの世界でも、そのような主張や場面を私たちは度々見てきた。
一時期の豊洲のベンゼンや、放射能・放射線などもそのような扱いをされていた。
もう、「善か悪か」「0か1か」だけの視点で物事を判断するのは止めませんか、という感じ。


実は、今回の記事を書こうとした動機は、上で述べたような難しいことを言いたい訳ではなく、「禁煙」という言葉から例によって曖昧な記憶を思い出したからです。
中高年の人なら一度は目にしたことがあり、煙草を吸ったことがある人には、ご理解いただけると思います。

(1)禁煙の貼り紙
何かに載っていた小話か4コマ漫画だったと思う。

・ある中年の親父が「禁煙」を決意し、部屋の壁に貼り紙をすることにした。
・ホームセンターなどで売っているプラスチックのプレートでは味気ないので、半紙に毛筆で「禁煙」と認めることにした。
・ところが、なかなか気に入った字が書けない。
・何枚か書いているうちに、やっと満足できる字が書けた。
・そこで思わず煙草を一服してしまった。


(2)マーク・トゥエインの言葉

「禁煙?禁煙なんて簡単だ。俺は何回も禁煙している」

※ マーク・トゥエインは『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』などで有名なアメリカの小説家。「何回」が「何百回」「何千回」となっているものもある。
Amazon本
posted by いわし雲 at 20:47 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

またボチボチと

長い間、留守にして申し訳ありませんでした。
またボチボチとブログを再開していきますので、よろしくお願いします。

入院中のことを書こうかと思ったんですが、かなり強引に退院したこともあって、病院に対する悪口を書いてしまいそうなので控えます。

ただ、1つだけ笑ってしまった出来事があったので、書いてみますね。
なお、pcも別途入院していましたが、お陰様で無事、修理を終えて帰ってきました。


[病院でのある日の出来事]

私より以前から入院していた同世代の男性患者さんがいて、夕食後、病棟のロビーのソファーで一緒にボーっとしていた。
8時頃、その患者さんが、
『眠くなったので、部屋に帰って寝るわ』
と言って、病室(1人部屋)に帰って行った。

朝方によく、不眠やふらつきを訴えることが多い方だったので、
「明日は久し振りに、爽やかな表情が見えるかな」
と思っていた。

ところが、意に反して翌朝も冴えない顔つきだった。

『どしたん?眠れんかったん?』と尋ねたところ、
『あれから、気持ちよく寝てたんだけど……』

『9時頃に看護師さんが来て、部屋のドアを激しく叩いて、「〇〇さん、起きてください。薬を飲む時間ですよ」と言われて叩き起こされたんや』
『それで?』
『それから薬を飲んだんだけど、眠れんかった……』

『ふーん。それでどんな薬を飲んだの?』と訊いたところ、彼はポツリと、
『眠剤……』と言った。

彼には悪いと思ったが、思わず笑ってしまった。

またおバカなことを書いてしまい、失礼しました。










posted by いわし雲 at 04:23 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

2017年05月26日

一時帰宅

睡眠障害が酷くなって入院したため、先週からsnsと繋がらない状態でしたが、昨日から外泊しています。
そういう訳でブログの記事を書いていますが、本日中に病院に戻るので、また繋がらない状態になってしまいます。
何卒、ご了承ください。

今日、記事を更新する気になったのは、5月24日の19:30~NHKTVで「がってん!!」で特に一人暮らしの高齢者は「肉を食べよう」という内容が放送されたためです。

内容を簡単に言えば、一人暮らしの高齢者は肉を余り食べず、低栄養、低たんぱくで骨折しやすく、それが引き金となって寝たきりになりやすいので、肉を2日に1回は食べましょうということでした。

毎日の栄養摂取の状況を簡単に表で表示して、低栄養から脱する取り組みが放映されました(量に関係なく、1日に食べたものを〇をつける様式で、NHKのHPからDLできるとのこと)。

私が以前に「何となくファミレス」で「肉を食べよう」と言ったことと合致し、うれしくなりました。

私は高齢者ではありませんが、この度の入院時の血液検査で、アルブミンは依然と同様、基準値の下限ギリギリでしたが、TP(総タンパク)は、基準値からかなり低く、医師から指摘されました。

それで、改めて言います。
「もっと肉を食べよう!」


前回の「クレヨンしんちゃん」のクイズで、私が考えていた回答は次のとおりです。

Q1.:きつい性格
Q2.:老後、海外、過

「崩れた体形」は「崩れた体型」の表記の方が良かったかも知れません。
クイズを出す時にも、少し迷いました。


失礼しました。
posted by いわし雲 at 18:24 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

2017年05月14日

お知らせ

諸般の事情により、まことに勝手ながら、当分の間、ブログ記事の更新を休止します。
そうでなくても更新が遅いのに、今まで私の拙い記事を読みに来てくれた方々には、心から感謝するとともに、お詫びいたします。

暫くの間、私の方からblog,twitter,mailなどにアクセスできなくなるので、ご諒承ください。
いずれ早い時期に再開したいと思っています。


と言う訳で、また、昔読んだ「クレヨンしんちゃん」のクイズを思い付きました。
例によって私の記憶違いだったら、ご容赦ください。

Q1.:次の〇〇〇〇に入る言葉(漢字あり)は何でしょう?

家で、しんのすけ、とヒロシが「しりとり」を始めた。

しんのすけ:「リサイクルショップ好き」
ヒロシ:「〇〇い〇〇」
しんのすけ:「崩れた体形」

みさえ:「あんた達、なんかむかつく『しりとり』やっているわね」


Q2.:次の〇〇〇〇〇に入る漢字は何でしょう?

しんのすけの幼稚園で、小さな森のようなところへ遠足に行った。
ところが、自由行動の時間に、しんのすけ、風間くん、マサオくん、ボーちゃん、ネネちゃん達のグループが、道に迷って、戻れなくなってしまった。
泣き出す子や「・・くんのせいだ」と言い出す子が出て来た。
そこで、「しんのすけ」が言った。

しんのすけ:「今は、そんなことより、今後のことを考えようよ」
風間くん:「お、しんのすけ、珍しく良いことを言ってるな」
しんのすけ:「オラ、〇〇は、〇〇で〇ごそうと思っているんだ」
風間くん:「そんなに先のことを考えて、どうするんだよ!!」


失礼しました。
posted by いわし雲 at 19:15 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

図書館についての雑感

以前の記事で図書館のことを書いたことがあるので、私のことを、よく図書館に通う真面目な人間だと思う人がいるかも知れないが、実はそれほど図書館を利用している訳ではないし、真面目な人間という訳でもない。

若い頃は、例えば紀伊国屋に行って立ち読みをして、買うかどうか迷ったら、その本を買うようにしていた。
その時の自分にその本が有益かどうかは分からないが、買わなければ下手をすると一生読まないかもしれないし、買えば、かなりの確率でその日の晩から読むことになり、その方が良いと思ったからだ。
『福翁自伝』などもこのような経緯で購入しており、結果的に良かったと思っている。

しかし、問題点もあった。
購入のための費用が嵩むのと、社会人になって当時流行のスライド式の本棚を購入したが、すぐに一杯になり、その後に購入した本は整理されずに積み重ねられている状態になってしまったことだ。
これでは、後から本を探すのが難しい。

ちなみに、今でも単行本や文庫本を買う時に書店がブックカバーを付けてくれるのかどうか知らないが、付けてくれるのなら、背表紙に自分で書いた本のタイトルが読めるような薄い色のものが良いですね。

以前、そんな状態で過去に買った本を探していた時、別の同じ本を2冊見つけたことがある。
過去の自分の名誉のために言うと、これは前に購入したことを忘れて、再購入したということではない。
後で再び読みたくなったが、探しても見つからないので、止む無く再購入したのだった。

それほどの熱意を持って本に拘るのは好ましいことのようにも思うが、半面、普通にジャンル別とか、購入日順に置いておけばそんなことにはならないのに、アホじゃないかと我ながら思う。

最近では余り本を買うことはなく、余程直ぐに手に入れたい本以外は、暫く放って置くことにしている。
話題の新刊書を直ぐに読むこともなく、半年~1年くらいして、読みたくなったら中古本を買うか、図書館で借りることにしている。
著作者には少し申し訳ない気がする。


それでやっと本題に入ります。
つまらない記事を、ここまで辛抱強く読んでくださった方に感謝します。
年代ごとに書いてみます。

図書館に行き始めたのは、事実上、中学3年生の頃からだ。
夏休みの部活の県大会予選が終わったら退部となり、時間もできた。

この頃から、中学校では高校受験モードになる訳だが、自分の今までの習慣が急に変わって、勉強に打ち込むということにはならなかった。
ただ、親からは、『家では私立高校に通わせる余裕はないので、公立高校に入学できなかったら、一浪までは認めるが、そうでなければ就職しろ』と珍しくきついことを言われていた。
自分でもそのことは感じていてやむを得ないと思っていたが、特別に何か才能があったり、手先が器用で熟練工になれそうな訳でもなく、プレッシャーにはなった。
大体、中学を出て直ぐに働くのは嫌だった。

高校に合格した時には両親はとても喜んでくれた。
しかし、その期待がその後重荷と感じたことも多かった。

また脱線してしましたが、中学当時、友だちと数人で図書館に勉強に行ったことがある。
当時は、エアコンも今のようにコンパクトではなく、工事も大変だったので、資産家の友だちの家でも、すべての部屋にエアコンがあるという家は殆どなく、涼みに行くには図書館は好都合だった。
親も、勉強に行くということであれば、反対しにくい。

こちらは、勉強というよりも、友だちと街中に遊びに行けるという楽しみの方が大きかった。
3~4人で出掛けた訳だが、小・中学生、高校生と自習室が分かれていたと思う。
大学生・社会人は、多分、一般の閲覧室で資料作成などをしていた。

意外に多くの他校の中学生が来ていて面食らった。
みんな私たちと同じように本とノートを拡げているが、結構話し声が多かった。
私たちも、最初の5分くらいは大人しくしていたが、直ぐに雑談となった。

各グループがそれぞれ雑談をしており、勉強している生徒は殆ど見られなかった。
時々、あちこちで話が盛り上がって、部屋全体がとても騒がしくなる。
図書館の職員が堪りかねて、40分置きくらいに『静かにしなさい』と注意に来るが、5分もすれば再び騒がしくなる。
今から思えば、『お前ら、何しに来たんだ。静かにできないのならとっとと帰れ!』と言いたかったんではないかと思う。。。


高校生になると、学校近くの別の図書館に時々行くようになった。
うちの高校は少し変わっていたのか、定期試験の前に授業の範囲が終わっていると、自習の時間が増えるだけでなく、クラス単位で例えば午前中で授業を打ち切って帰宅させることも多かった。
街中を歩いていると、補導員に『あなた何しているの?どこの学校?』などと呼び止められた生徒もいたらしい。

そんな時、友人と時々図書館に行った。
平日の昼間なので、当時は来館者も少なかった。
10数人が座る長机に1~2人で座ると、何となくうれしかった。
今まで味わったことのない、異次元の世界という感じだ。

例によって、勉強に身は入らず、近くのコーヒー専門の喫茶店に行くことが多かった。
個人経営のこぢんまりとした店で、素人目に見ても商売気はなく、道楽でやっている感じだ。

客は殆どいないが、時々文学作品の評論を行っているグループがいたり、写真好きの初老の男性がいて、自分で撮影した写真パネルをいくつか持ち込んで、『これを店に掲げてくれないか?』などと言っている。
こういう世界もあるんだな、と思った。

相変わらず、だらだらと長くなってすいません。
ここからは、少し恥ずかしい話。

社会人になってからも、たまに図書館に行くことがあった。
勉強よりも本を借りに行くのが主体だ。
一度、「プラトン」や「人生如何に生きるべきか」などという堅苦しい本を数冊借りたことがある。

私は当時から、周りに迷惑を掛けず、短時間に手続きを済ますことを旨としていたので、借りたい本と図書の貸し出しカードを事前に出して手続きを待っていたが、どうも若い女性職員の態度がおかしい。
『図書の貸出カードをお願いします』と言う。
『??。そこに出しています』と言ったが、
数秒の沈黙の後、『これはビデオショップの会員カードのようですが?』と言われ、恥ずかしい思いをした。

当時はVHSのレンタルビデオショップが全盛で、チャールトン・ヘストンのモーセの『十戒』の上・下巻などを借りたこともあったが、成人コーナーが充実している店であり、その手のビデオもよく借りていた。
夏目ナナの新作が出たと聞くと、つい足が向いていた。

・教訓・・・カード類は整理しておき、提出する前に今一度確かめよう。


[おまけの図書館とは関係ない同じような話]

かなり前ですが、大きな総合病院を受診したことがある。
外来であったが、多くの検査をしたため半日ほど掛かり、請求額は15,000円を超えた。
会計のカウンターには多くの患者が待っており、それも憂鬱だった。

ふと見ると、最近導入された銀行口座から支払える機械式の精算機があり、誰も並んでいない。
そして、親切そうな女性が傍らにいて、操作法を説明してくれそうだったので、そちらに行った。
『このカードは、普段と逆方向から入れてください』
『暗証番号を入力してください』
と丁寧に教えてくれ、操作も順調に進んでいたが、途中で止まってしまった。

件の女性が言いにくそうに、
『この銀行口座では、残高が不足しているようです』
と言った。

『あ、そう言えば、自動引き落としが先日行われたのかも知れない』
と事実でもない言い訳をしてしまった。

・教訓・・・キャッシュカードの残高は大体頭に入れておこう。

自虐ネタのようでみっともないんですが、記事にすると少し自分の気持ちが楽になるような気がして書いてしまいました。
失礼しました。
posted by いわし雲 at 01:39 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

2017年04月16日

原付免許の話

北朝鮮情勢が緊迫しているというのに、今日はお気楽に原チャリ免許の話です。

ここ20年以上、50cc以下の原付バイクには乗っていませんが、以前に比べ街なかを走っている原付が減ったような気がする。
小回りが利いて、通勤・通学・営業に便利が良いのですが、四輪自動車、電車、バスの普及によって減少したのかな、と勝手に思っています。

ただ、利用する側から見ると、
安全のために仕方がないと思いますが、他の2輪車同様、ヘルメットの着用が必要なこと、
雨の日の合羽の着脱が面倒なこと、
などが挙げられると思います。
また、上り坂で50ccではパワー不足で、120ccくらいは欲しいところです。


数10年前の高校生の時、原付免許を取りに行ったことがある。
現在ではどうなのか知りませんが、当時の試験は実技講習はなく、学科試験と視力検査だけだった。
今でも、いわゆる「引っ掛け問題が」があるのかも知れませんが、当時の学科試験で不思議な問題があったのを覚えている。

「正しいか、正しくないか」を解答用紙のマークシートで塗りつぶすのですが、不思議な問題を2つ覚えています。
①『渋滞の時でも、2輪車は4輪車の間をスイスイ走れて気持が良い』
②『2輪車は4輪車より、運転が簡単だ』

「気持が良い」とか「簡単」と思うのは個人の主観的な問題で、どうでもいいと思うのだが、そんなことを気にしていられないので、次の問題に進んだ。
もう少し表現の仕方があるだろう、と思った。


当時はまだ、PCやOMRがあまり普及しておらず、採点は手作業で行っていたようだ。
後に通った自動車学校の教官によると、正解を見ながらいちいち採点すると時間も掛かり、間違いが生じやすいので、あらかじめテンプレートのようなものを作っておいて、解答用紙の上に重ねて塗りつぶされた窓を数えるのだそうだ

そして、中にツワモノがいて、すべてのマークシートを塗りつぶして、満点を取った人がいるという。
いくら何でも、気が付くだろうし、別にチェックする人もいると思うのだが、なかなか面白い話ではあった。
ラベル:不思議な問題
posted by いわし雲 at 19:48 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

2017年04月01日

IQ検査、心理検査

20年くらい前に心療内科に入院したことがありましたが、その時に受けた心理検査について、少し書いてみます。

主治医である若い女性の研修医との相性は余り良くなかったんですが、その原因を後で、自分なりに冷静に考えてみると、研修医からの療養計画のようなもの ーーー例えば「あなたは今、こういう状態と考えられるので、このようなことに注意しながら治療を行っている。今後このような状態になれば、こういう治療を試みる。それで症状の改善が見られれば、こういうことに気をつけながら通院治療に切り替えたいと考えているが、患者であるあなたの意向はどうか?」といった説明がまったくなかったことが、一因だったと思います。


それで、ある日突然、その研修医から「心理検査を受けてみますか?」と訊かれた。
何のために検査を行い、その結果がどのように治療に反映されるのか、といった説明は、やはり例の如くまったくなかった。
拒否することもできると言う。

「なんじゃ、そりゃ」と思ったが、一応検査内容について訊いてみた。
IQ検査とロールシャッハテストを行うと言う。
面倒くさいと思ったが、好奇心の方が優って受けてみることにした。


間違っているかも知れませんが、私の認識は次のようなものでした。

(1)IQ検査
年齢にふさわしい知識や理解力を持っているかどうかを測定する検査で、100が標準。
デジタルで1桁まで表示することには疑問があるが、自分の検査結果が100を切ると嫌。
知的障害の判定などには意味があるのかも知れないが、私は余り信用していない。
例えば、ませた中学生が高校生になって初めて知るようなことを沢山知っていると、数値は非常に大きくなるような気がするが、それが生涯続くかどうかは疑問。
IQが高いことが必ずしも優秀ということではなく、まして、人としてより大事な人間性とは関係ないと思う。

(2)ロールシャッハテスト
学生の頃、心理学のテキストで簡単に触れていたのを見たことがある程度で、インクの染みで本当に人の性格や内面が分かるのか疑問。


この程度のことしか思いつかなかったのですが、逆にどんな方法で検査を行うのか、どのような結果・判定が出るのか、と興味が湧いたので、この心理検査なるものを受けてみた。

検査当日、検査室に入ると白衣の女性の臨床心理士?がおり、テーブルで向かい合っての私と2人だけでの検査だった。
筆記試験かと思っていたが、口頭での質問・回答だった。

①IQ検査
暗算などの質問があり、あと覚えている質問は、「1年は何週間ですか?」「東京~大阪間の距離は大体どれくらいですか?」といったものだった。
テーブルの上には何もなく、臨床心理士の人がテーブルの下でメモしたり、ストップウォッチで回答するまでの時間を計っていたようだった。

漢字を見せられて、「叢書とは何ですか?」と言われて一瞬考えたが、「有斐閣叢書」というのがあったのを想い出し、適当に答えた。
以上で終わりだった。

②ロールシャッハテスト
実は検査を受ける前に、以前どこかで読んだ記事を思い出してしまった。
それは、「2匹の犬」とか「草原の大樹」などという具象物を答えるのは言わば単純な思考であり、抽象的なものを答える方が高度な思考の内面を示すという意味に私が勝手に解釈していた記事です。

思考が単純であろうがなかろうが大した意味はなく、知性とか人間性とも関係ないと思いますが、その時は見栄から、「すべて抽象的なもので答えてみよう」と決めていた。

検査はインクの染みのような絵柄を印刷した冊子を見て、何に見えるかを次々に答えていくという内容だった。
何と答えたかよく覚えていませんが、例えば「歪曲された正義」などと訳の分からない回答をしてみたところ、「はい」と言われて問題なく次の頁に行くという感じだったので、調子に乗って「平和への祈り」「哲学と文学の融合」などと適当に答え、10頁くらいで終わった。

これで検査が終わったと思ったのが甘かった。
「それでは先ほど答えられた内容について、絵柄を見ながらどこがそのように見えるのか説明してください」と言われてしまった。

「えっ?そんなことは先に言っといてよ」と思ったが、後の祭り。先ほど何と答えたかもよく覚えていない。

「下部の円みを帯びたところが正義で、本来、真円になるべきところが、上部から出た枝のようなところから邪悪なものが入り込んで円の形が歪められてしまっている」などと我ながら呆れた説明をしたが、それ以上突っ込まれることはなかった。
このような説明を冷や汗を掻きながら10頁も続けたのは、苦行以外の何ものでもなかった。

やっと検査が終了した。。。


後日研修医から、数値は忘れたが、IQが100はあったことが伝えられた。
ロールシャッハテストについては、「測定不能」となったのか「性格異常」とされたのかは知らないが、結局何も結果は伝えられなかった。
(以前の記事を一部改変して再掲)
posted by いわし雲 at 18:02 Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・その他 | 更新情報をチェックする

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