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2016年02月10日

伝記、偉人伝そして福沢諭吉

福沢諭吉が書いたと言われる『脱亜論』が、netを見ていると時々引用されているので、またまた昔のことを思い出した。

小学生の頃、教室に小さな本棚があって伝記が並べられていた。
ハードカバーの本で背表紙には大きな字で、「シュバイツァー」「野口英世」「北里柴三郎」などと書かれた偉人伝だった。

児童の数から考えても、また記憶にもないので、授業中に強制的に読まされたということはなかったと思いますが、本好きの子はよく読んでいたようだったし、私のように、そうでない子でも時々読んでいました。もちろん、1学年のうちに各自全部読みなさい、などと教師から言われた訳ではありません。

どの伝記を読んでみても、子どもの頃、やんちゃ坊主だったり、勉強ができなかったりということはあっても、その後、人並み外れた努力をして、一生懸命勉強を続けて、品行方正で、強い信念を持ち、アフリカに行って医療活動をしたり、細菌を発見して人命を救うための治療に繋げたり、歴史的な大発見をしたりといった感じの内容で、とても自分には真似ができそうにないことを行った人の話ばかりだった。
だから伝記になっているんだと思いますが。

その中に「福沢諭吉」もあり、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』という話や米国・欧州見聞の話、文明開化や教育に尽力した話などがあった、と思いますが、内容はきれいに忘れています。

近所の店に行くと、大きめのカレンダーに、

一番悲しいことは、嘘をつくことである
一番みじめなことは、人間として教養のないことである
一番寂しいことは、する仕事のないことである
・・・・
というような諭吉の格言が書かれていたことがあり、何か説教されているようで少し嫌だったのを覚えています。

その後かなりの年月を経て、書店で『福翁自伝』という本を見つけて、面白そうだったので購入した。岩波文庫だったと思う。帰宅して読んでみると、伝記などのイメージと全く異なる人間臭さのある福沢諭吉が登場し、面白かった。
手元に本がないので、また曖昧な記憶で書いてみます。間違い勘弁。小見出し適当。

(1)適塾での囲碁の観戦
   大阪の緒方洪庵の適塾で、諭吉は他の仲間とそれこそ「学問」をすすめていた訳ですが、その合間に仲間が囲碁の対局をすることがあり、諭吉が横で見ていると、「さっきの手が悪い」「ほら、やっぱりこうなった」「これは○○が優勢だ」とか、いつもやかましい。
その後、「福沢がどれほど強いのか、俺と対局しろ」と言われて、やむなく諭吉は応じるが完敗する。
諭吉は囲碁が強かった訳ではなく、ただ対局中の両者の表情を見て、いろいろと口を挟んでいただけだった。

(2)米国での記念写真
   これは少し有名な話らしい。咸臨丸で米国から帰国する洋上で、密かにサンフランシスコの写真館でその店の娘と撮っていた写真を皆に見せて悔しがらせた、という話。当時の写真は、10分間ほど、じっとしていなくてはならないものだったと思うが、諭吉も人が悪い。

(3)暗殺の心配
   江戸末期から明治初期は、動乱の時代というのか、国の針路を巡って激しい意見の対立があり、暗殺も多く、諭吉にも危険があった。
ある時、諭吉が一人で道を歩いていると、向こうから浪人が歩いてきた。諭吉も武士であったから帯刀しており、相手も同様であった。諭吉は斬り合いは何としてでも避けたかったが、相手が斬りつけてくればやむを得ないと考えていたようだ。

道の端を歩いて弱いと思われてはいけないと思い、堂々と道の真ん中近くを歩くようにしたところ、何と相手も道の中央に寄って来た。
すれ違う時、互いの刀の柄(つか)が当たり、諭吉はとっさに走って逃げた。数10mくらいだと思うが、振り向いてみると相手も走って逃げていた。
向こうも同じことを考えていたのかと、諭吉はおかしくなって笑ったという話。

感想等については、おこがましいので止めておきます。
posted by いわし雲 at 14:47 Comment(0) | TrackBack(0) | 文学等・書籍 | 更新情報をチェックする

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