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2018年01月30日

南直哉さんの話と若住職さんの話 -3

昨年の秋、ブログサイトをWPに引っ越ししました。
その時から、ブログのデザインなどの失敗をいまだにいろいろと引きずっていますが、新しいブログに持って行かなかったカテゴリがあります。
それは、南直哉さんのカテゴリです。

何故持って行かなかったかというと、南直哉さんが言っておられることに私の理解が追い着かず、今後の記事の更新が覚束ないと思ったからです。

昨年、私の友人のドランさんが、禅と福音という本を自分が読み終えたということで手渡してくれました。
彼はカトリックのクリスチャンで、週に一度は教会に行っているようです。
先日は、『四谷の教会に行ったら、「ひふみん」が来ていた』と言っていました。

それで、彼には申し訳ないのですが、まだなかなかこの本を読めずにいます。
対談で会話文であり、各頁ごとに時々下欄に解説が載っていて読みやすい体裁なのですが、なかなか読み進めない。

以下は私の勝手な想いですが、何故、南直哉さんの言っておられることに私の理解が追い着けないか、ということです。
・私自身が実存を理解できていない。
・輪廻を否定しておられる。
・宗教としての仏教に否定的である。
・本当の自分という考え方に否定的である。

例えば『本当の自分が分からない』という質問に対して、南直哉さんには、『本当の自分ではないと言っている自分とは、一体何なのか。その自分を見ている自分が他にいるのか』と言われそうです。

しかし、ユングのペルソナ(仮面)の概念に賛同している私的には、そのような質問は当然だと思っています。
粗っぽい言い方をすると、お笑い芸人の方々が、プライベートでもいつもニコニコしている訳ではないでしょう、という感じです。
相手に応じていろいろなペルソナを演じているうちに、本当の自分が分からなくなるということは、あり得ることだと思います。

タイトルの話はどうなっているのかと言われそうですが、昨年のお盆に若住職さんが来てくださった時のことを、タイミングを考えず備忘録的に書いておこうと思ったのがこの投稿の動機です。

一昨年のお盆に私が南直哉さんのことを話したことを覚えていてくれたのか、若住職さんに次のように切り出されました。
『今度、東京でシンポジウムがあり、初めて南直哉さんにお会いしてお話することになりました。これから南直哉さんの本を読んで勉強します』

お盆以外に若住職さんにお会いする機会はないので、どういう話をされたのかはその後伺っておりませんが、また機会があればお聞きしたいと思っています。

私がその時何を言ったのかよく覚えていませんが、多分
『南直哉さんは切り口が斬新で、そのお話はいつも魅力的です。仏教哲学の形而上学的なことをよくお話されています』と言ったのではないかと思います。
posted by いわし雲 at 21:16 Comment(0) | 南直哉さん | 更新情報をチェックする
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