2016年01月13日

少し文学的

今では著作権の関係であまり無いのかと思いますが、以前には、高校とか大学の国語の入試問題で、文学作品の一部を抜粋して「作者がここで述べたい趣旨を○○字以内で記述しなさい」などという問題が出ることがありました。

その時は別に受験生ではなかったんですが、これにはちょっと考えさせられました。
そんなことを短い言葉で簡単に表現できるのか、という感じがしたからです。
また今では、一般の文学作品についても、そもそもそれは言語化できるものなのか、という気もします。

新聞に試験問題が掲載された翌日、予備校の講師や大学教授が模範解答のようなものを示して解説するTV番組があったので、ちらっと観ていたんですが、ある大学教授がこのような問題を解説した後、「でも作者は本当は別のことを考えていたのかもしれませんね」とさらりと言ったのには驚きました。

長い文章を引用した問題なので、他にもその内容に関連した設問がいくつかあって、恐らくその辺りから出題者の意図を汲み取って、求められていると思われる解答例を示したが、「文学はそんなものではないよ」と言いたかったのではないかと思います。

 (※ここまでは、2015.12.15に投稿した一部を修正して再掲載しました。)

狐狸庵先生こと遠藤周作が、母校の灘高に行って生徒の前で講演したビデオを観たことがあります。
講演の後で生徒から質問を受けたのですが、最初に2〜3人の生徒が一緒に立って「芥川賞の傾向と対策について」と質問したところ、遠藤周作は見る見る怒り出し、「何?、もう一度言ってみろ」「東大とは違うんだぞ!」「文学を舐めるなよ」と言って、「もう質問は受けない」と降壇してしまいました。

随分若い頃『走れメロス』を読む機会があり、最後の「勇者は赤面した」は気に入っていましたが、他の箇所は何とも思わなかったです。当時は、ハッピーエンドのような小説や読み物があまり好きではなかったこともあります。

その頃は、小説はあまり読んでいなかったのですが、遠藤周作、北杜夫、安岡章太郎などのエッセー集が文庫本で出版されるようになり、作家同士の交流の面白い話があったりしたので、そちらを読むようになりました。
その中で太宰治やトーマス・マンなどの作品への言及があったので、それも読むようになった次第です。

『走れメロス』以降の太宰治の作品などを読むと、「重いなぁ〜」という感じがして、「文学というものは普通の人が隠したり、意識していない『人間の業』というのか『醜いところ』を容赦なく抉り出しているようで厳しいなぁ」と思っていました。


また機会があれば、昔読んだ本を読み直してみたいと思っています。
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