2015年12月15日

12人の怒れる男(陪審員) の話など

「12人の怒れる男」を今は昔、TVの再放送で観たことがあります。別に観ようと思って観た訳ではなく、たまたま途中から観始めたので、最初の方は分からず、いつも以上に曖昧な記憶を基に記事を書いてしまうことになります。


モノクロの映画で建物の中での場面しかなく、「重苦しい映画だなぁ」と思って本気で観てはいませんでしたが、途中から段々と引き込まれていったのを覚えています。


念のためnetで検索してみたところ、当然かもしれませんが、かなりの部分が私の記憶から抜けているようで、またあちこちで記憶と異なっている部分があります。

しかし、あらすじを説明したり映画の評論をすることが目的ではないので、その記憶を基に書いてみることにします。


前提となる状況が分からないと、映画を観ていない方には何のことか分からないと思うので、簡単に箇条書きにしてみます。違っているところがあったら申し訳ありません。


・スラム街に住む黒人の少年が、ナイフで父親を刺殺したとして逮捕され、裁判にかけられた。

・裁判所での論告求刑で検察側・弁護人側が供述を行ったが、提出された証拠、証人の目撃証言などは、少年に極めて不利なものであった。

・論告求刑の場に、陪審員も出席して傍聴している。

・その後、陪審員の審理が行われるが、そこで「有罪」となると少年の「死刑」が殆ど確定する(現在の米法での扱いは知りません)。

・陪審員は一般人の中から無作為に12人が選ばれ、審理を行い評決する。

・陪審員は匿名で、お互いの名前などは明かさないまま審理が行われる。

・審理は外部と隔離された部屋で行われる。

・評決は、有罪か無罪かのみを決定し、「懲役○○年」などの量刑についての審理や評決は行わない。

・評決には、陪審員全員の意見の一致が必要である。


思いつくのは、こんなところです。

ですます調を離れて、私なりに内容の一部を書いてみます。

・・・・・

皆テーブルに着いてずっと審理を行うのかと思っていたが、殆どの場面で陪審員は立って歩き回ったりして、「早く終わらせてナイターを見に行くんだ」などと好き勝手なことを言っている人ばかりだった。

なお、審理の記録を取るために一人の書記のような人がいたと思うが、当然陪審員と話をすることはなかった。


上記のように証拠や目撃証言があったため、殆どの陪審員は審理がすぐに終わり、全員一致で「有罪」の評決となると思っていた。

しかし、最初の投票で1票だけ「無罪」の票があって全員一致に至らなかった。


場面は騒然となり、「誰なんだ!」との声が出て、1人の陪審員が「私だ」と名乗り出た。

名乗り出たといっても、もちろん名前を語った訳ではない。


その陪審員は「私は無実を確信して『無罪』の票を入れた訳ではない。しかし、少年の一生を決めることを、短時間で充分に吟味もしないで決定することには反対だ」と語った。


その後、結果的に証拠や目撃証言を一つひとつ検証していく流れとなった。証拠は状況証拠ばかりで、指紋や今でいうDNA鑑定のような物的証拠はなかった。


陪審員の中にナイフに詳しい人がいて、「この種のナイフで人を刺したら、この少年の事件の場合、ナイフはこのような向きにはならない」という話などが出て、途中の投票で「無罪」が少しずつ増えていった。

上の話と同様、無実と確信したいう訳ではなくて、有罪と決めるには不十分だということのようだ。

なお、陪審員の中には、感情が先に出て冷静に考えることができない人、論理的な思考を殆ど無視する人もいた。


女性の目撃証言で、「ベッドで横になって、たまたま窓の外を見ていたら、少年が走って逃げるのが見えた」

というのがあった。

映画の終わり頃の場面で、1人の陪審員が眼鏡を掛けている陪審員に向かって突然「あなたはいつも眼鏡を掛けていますか?」と訊き、「はい」と答えると、「寝るときはどうですか?」とさらに訊いた。

他の陪審員が「こんな時に何を関係ないことを訊いているんだ」と怒ったが、「これは大事なことなんです」と遮った。先の陪審員は「寝る時には眼鏡は外します」と答えた。その陪審員が眼鏡を外すと鼻に眼鏡による窪みができていた。


「目撃証言をした女性の鼻にも眼鏡の窪みがあったのを私は見た」と質問した陪審員が言うと、別の陪審員が「そうか、俺も見たぞ」と声を上げた。女性が普段眼鏡を掛けており、視力が弱いのに、眼鏡を外して横になっているベッドで犯行現場を目撃したと証言したのは不合理ではないか、という議論となった。

その結果、他の陪審員の1人は「私は無罪を確信した」とまで言った。

・・・

その後の投票で、有罪は1人となった。


最後の1人は、「俺はあいつらを許せないんだ」と泣き喚きながら、最後に「無罪だよぅ〜」と叫んだ。

これで全員一致で「無罪」という評決となった。


審理が終わって、各陪審員は一般市民として家路に就く訳だが、建物の出口で、最初に「無罪」の票を入れた元陪審員の横に別の元陪審員が立ち、「あなたのお名前は?」と尋ねたところ「一人のアメリカ人です」と答えた。それぞれ右と左に別れて歩き出し、映画が終わる。


私の中では、こんな感じのイメージです。描写が下手ですいません。


この映画が何を訴えたかったのか、という話は当然あって、陪審員制の問題点、冤罪を生む恐れのある裁判のあり方、この評決によって証拠や証言にはそれぞれ不合理な点があることから少年は無罪となったが、「無実」であるとは断定できないことについての対応の方法、匿名であるが故に無責任な言動を取る陪審員がいること、世の中にはいろいろな人がおり、主に論理的な思考を基に行動している人、偏見や強い感情が言動に大きく影響を及ぼしている人、他人の意見に影響を受けやすい人、心理的な問題を抱えていて正しい判断ができない人などがいて、お互いが影響を及ぼし合ってそれぞれ社会生活を送っているという現実があるということ、などがあると思います(余り考えずに書いています)。


一番の関心は、自分がこのような状況の中で、最初に無罪を投票した陪審員のように勇気を持って堂々と論理的な発言や行動ができるかということだと思いますが、例えば私にそんな気概や能力があるかというと、残念ながら現状ではとても無理だと思います。


初めの方でも述べましたが、私の記憶している映画の内容と実際の内容はかなり違っていると思います。

言い訳をするつもりはありませんが、何十年も前の映画を正確に覚えている人は殆どいないでしょうし、仮に最近の映画だったり、事実だけを報道した(?)ニュースだったとしても、それについての記憶や受け取り方については、その人の個性、信念・信条あるいは思想などによって異なってくると思います。

それが悪いことだと言うつもりはなく、当然のことだと思いますが、例えば評論家と称する人達の中で、事実を余り検証せずに安易に「こういうことだ」と断定し、自分の見解とごちゃごちゃにして発言する人については、私は信用していません。





※少し修正したので、すいませんが再upします。
タグ:陪審員
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