2017年02月26日

渡部昇一さんのパスカルの話

昨年読んだ渡部昇一さんの「95歳へ!」か、その後に読んだ同著者の別の本だったかよく分からないが、渡部昇一さんがパスカルの話を引用していた内容があったことを想い出した。
それぞれの本の内容は、もうかなりの部分を忘れている。

そういえば私の友人のヒツジさんは、自ら自身のことを「活字中毒」というほどの読書家だが、最近小説を読んでいて、途中で本を閉じると主人公の名前を忘れてしまうと嘆いていたが、やはり年のせいなのかも知れない。

私はかなり前から、何かをしている途中で別のことが入ると、『さて、何をしてたんだっけ?』と思うことがよくあった。
しかし、例えば仕事中に歩いてきた元の場所に戻ると、何をしていたか思い出したりする。
同世代の人に訊いてみると、私だけではないようだが、少し辛いものがある。

さてパスカルは、「パスカルの原理」や『人間は考える葦である』という言葉で有名なフランスの思想家ですが、残念なことに私は、例の如く、いつ頃の人か、どんな人かはよく知らない。

そこで、Wikipediaで調べてみた。

Wikipedia「ブレーズ・パスカル」から引用。
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランスの哲学者、自然哲学者(近代的物理学の先駆)、思想家、数学者、キリスト教神学者である。
早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。ただし、短命であり、三十代で逝去している。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。
「人間は考える葦である」などの多数の名文句やパスカルの賭けなどの多数の有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。その他、パスカルの三角形、パスカルの原理、パスカルの定理などの発見で知られる。ポール・ロワヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。
かつてフランスで発行されていた500フラン紙幣に肖像が使用されていた。
「以下略」



日本で言えば、江戸前期に当たる頃のようだ。
39歳で夭逝したらしい。また、キリスト教の神学者で実存主義者でもあるらしい。
「パンセ」は難しそうだったので、恥ずかしながら私は未だ読んだことがない。
渡部昇一さんが引用されていたのは、多分この中で出てくる「パスカルの賭け」の話だと思う。

「パスカルの賭け」はWikipediaに別項目で説明されているが、私にはこれも難しいし、余り読む気にもなれない。
そして、そこでは「神の実在」などについての話となっているが、渡部昇一さんの本では(私の記憶違いかもしれないが)、少しアレンジされて「あの世があるかどうか」についての話として書かれていたと私は記憶している。
つまり、私の理解では次のように単純化された話だ。

で、「あの世が、あるかないか」ということと「あの世があると信じていた人、信じていなかった人」が亡くなった場合にどうなるか、というそれぞれの場合について渡部昇一さんの話を基に、私風に勝手に書いてみる。


(1)あの世があると信じていた人が亡くなった場合
@あの世があった場合:〇
あの世があると思って、この世を生きてきた訳であり、もう少しああすれば良かった、こうすれば良かったという思いがあったにしても、思いのとおり「あった」のでこれは〇。

Aあの世がなかった場合:△
残念ながらあの世はなかったが、あの世がなければ、魂や意識が死後も存在するとは考えられないので、「しまった」という考えも生じず、×とならず△。

(2)あの世はないと信じていた人が亡くなった場合
Bあの世があった場合:×
あの世はないと思ってこの世を生きてきたのに、意に反して「あの世があった」のだから、これは×。
後悔先に立たずで、「しまった」ことになる。

Cあの世がなかった場合:△
予想どおりあの世はなかったが、Aと同様に、「良かった」という考えも生じないので、〇とならず△。

ということで、「あの世がある」と信じた方がマイナス要因がないということになる。

まぁ、損得勘定のように考えることではないと思うので、あの世があろうがなかろうが、「それがどうした」という気もするが、このように整理してみることも意味があると思う。。。


ここからは、渡部昇一さんの本に触発されたことを私自身の備忘録のつもりで書きます。
余りおもしろくないと思いますので、適当にスルーしてください。

私の性格の中には、ウジウジした、弱い、良くないところがあります。
その一つは、過去に人から言われたことに必要以上に囚われるところです。
自分の弱点を晒すようで恥ずかしいのですが、少し書いてみます。

過去に人から酷いことを言われた場合、−−−悪意がある場合もそうでない場合もありますが、そのことに囚われないようにしたいと思っています。
悪意がある場合には、結局相手の手中に落ちてしまうことになるし、そうでなくても精神衛生上良くない。

渡部昇一さんによると、すべてのことは潜在意識に記憶されるということなのですが、困ったことにその時に抱いた感情も記憶されるらしい。
つまり、言われたことだけでなく、自分がそのことに対して抱いた感情、怒りとか自分に対する情けない思いも残ってしまうらしい。

そうであるのなら、それを後から何度も思い出してしまっては、そのような良くない感情が増幅し、精神に悪い影響をもたらし、さらにストレスが高まって身体にも悪影響を及ぼすのではないかと思う。

そこで、本に書かれているように許すことを考えた。
私は毎日次のような祈りを行うことにした。
聖書に書かれている「汝の敵を愛せよ」については、今は考えない。


『私に酷いことを言ったあなた方を許します。良くしてくれたことには感謝します。私が酷いことを言ってしまっていたら許してください。もうあなた方と会うことは多分ありません。もう過去に私が言われたことも忘れます。今後二度と私に関わらないでください』
そして、
『酷いことを言われたと時に反論しなかった過去の自分、うまく対応できなかった過去の自分を許します』

こんな感じです。
「許す」と言っていますが、私の場合、その内容の核心は『もう忘れることにしたから、二度と私の意識の上に出てくるな』という自己中心的な考えです。

人徳至らぬ私なので、次の日になると、何かの拍子にまた想い出して『そういえば、あの時あいつはあんなことを言いやがって。くたばっちまえ』と思うこともありますが、暫く続けてみようと思います。


Wikipedia「ブレーズ・パスカル」から
パスカル画像 wikipedia.png
春はあけぼの ボタンの三つ四つ、二つ三つなど押すも いとをかし

◌◐◒◓◑◔◕
ブログランキング・にほんブログ村へ